大阪(大阪市中央区)堺筋本町エリアのお客様へ
寺田税理士・社会保険労務士事務所は大阪市中央区「堺筋本町駅」から徒歩4分の場所に事務所があります
私たちは大阪でも数少ない「税理士と社会保険労務士のダブルライセンス事務所」であり、大阪の中心部である大阪市中央区、堺筋本町駅から徒歩4分の場所に事務所があります。
大阪市中央区のお客様を中心に、いま私たちが450社を超える企業様から選ばれ続けるのは4つの理由があります。
1つめは、税理士専門サービス(会計、融資、節税)
2つめは、社会保険労務士専門サービス(助成金、労務、社会保険、給与計算)
3つめは、労働保険事務組合専門サービス(中小事業主の労災特別加入)
4つめは、経営コンサルティング専門サービス(未来会計、事業計画、経営会議)
大阪市中央区にある寺田税理士・社会保険労務士の特徴は、お客様にこの4つの専門サービスを同時に提供しているところにあります。
大阪(大阪市)堺筋本町駅と堺筋周辺エリアの特徴
大阪(大阪市)堺筋本町駅(ほんまち)は、大阪市中央区船場中央一丁目にある大阪市営地下鉄の駅。堺筋線「堺筋本町駅」と中央線「堺筋本町駅」の2路線が乗り入れている。ビジネスの中心街で周辺施設には、マイドームおおさか、大阪商工会議所、大阪産業創造館、大阪国際ビルディングなどがあります。道路交通では、南北には大阪府大阪市の南北基幹道路の堺筋が通り、東西には「中央大通」そして並行して「本町通」が通っている。ビジネスにおいてとても便利なエリアである。高速道は「阪神高速環状線」が通っている。
以下『フリー百科事典 ウィキペディア』より参照
堺筋本町駅の概要と歴史
概要
堺筋本町駅(さかいすじほんまちえき)は、大阪市中央区船場中央一丁目にある大阪市営地下鉄の駅。堺筋線と中央線の2路線が乗り入れる。
歴史
1969年(昭和44年)12月6日 – 堺筋線の天神橋筋六丁目駅 – 動物園前駅間および、中央線の本町駅 – 谷町四丁目駅間の開通と同時に開業。本町駅が先に開業していたため、堺筋を冠している。
以上、『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より引用。2017年11月5日 (月) 18:16 UTC、ページURL: 「堺筋本町駅」
堺筋の概要と歴史
概要
堺筋(さかいすじ)は、大阪府大阪市中心部の南北幹線道路。
大阪市北区の天神橋1交差点から、大阪市中心部の船場・島之内を縦断して、西成区の天下茶屋東1交差点に至る、全長約6.1kmの南北幹線道路。大阪府道102号恵美須南森町線の大部分を占め、ほぼ全線の地下に大阪市営地下鉄堺筋線が通っている。天神橋1交差点 – 日本橋3南交差点間は、起点方向への北行き一方通行で全5車線。このため、東側を走る南行き一方通行の松屋町筋と対になっている。日本橋3南交差点 – 天下茶屋東1交差点は、片側2車線の全4車線以上となっている。
島之内となる長堀橋交差点(長堀橋跡) – 日本橋間では長堀橋筋(ながほりばしすじ)、日本橋 – 阪神高速1号環状線えびす町入口(名呉橋跡)間では日本橋筋(にっぽんばしすじ)とも呼ばれる。また、「堺筋」は砂糖の隠語でもある。歴史
和歌山へ至る紀州街道の一部区間にあたり、江戸時代の船場において堺へ出る道であったことから堺筋と呼ばれ定着した。当時から人通りが多く、南北方向のメインストリートであったが、大川には架橋されていなかった。大川以北からの人通りは大川に難波橋が架かる一筋西の難波橋筋に流れ込むようになっており、難波橋筋は西宮へ至る中国街道の一部区間にあたる。江戸時代の大坂は東西方向の道路が主で、従である南北方向の道路は3.3間幅しかなく、南へ伸びる堺筋と北へ伸びる難波橋筋とで繁栄を二分していた。
堺筋は1908年(明治41年)に日本橋3交差点 – 恵美須交差点間が拡幅され、大阪市電南北線が敷設された。次いで、1912年(明治45年)に北浜1交差点 – 日本橋3交差点間が12間(約21.8m)に拡幅され、大阪市電堺筋線が敷設された。この際、大川北岸の天満へ向けて、難波橋に市電を通すことに対して反対運動が起こった。そのため、1915年(大正4年)に堺筋に新・難波橋(現在の橋)が架けられ、天神橋1交差点 – 北浜1交差点間には大阪市電天神橋西筋線が敷設された。以降、旧・難波橋が撤去された難波橋筋は裏筋化の一途をたどり、以前の難波橋筋の役割が加わった堺筋は人通りが倍増した。
1917年(大正6年)には三越が高麗橋2丁目(現・高麗橋1丁目)に、1921年(大正10年)には白木屋が備後町2丁目に、1922年(大正11年)には高島屋が長堀橋筋1丁目(現・島之内1丁目)に、1925年(大正14年)には松坂屋が日本橋筋3丁目(現・日本橋3丁目)に店を構えるなど、堺筋は大正時代に繁栄を極めていた。しかし、1937年(昭和12年)に梅田 – 難波間を24間幅で結び、地下には大阪市営地下鉄御堂筋線が通る御堂筋が竣工する。商業施設はいち早く、一般企業の多くも戦後御堂筋へ移転し、メインストリートとしての地位も御堂筋へ移った。
市電は1960年代には姿を消し、1969年(昭和44年)に大阪市営地下鉄堺筋線が開通。1970年(昭和45年)から交通渋滞緩和のため、上述の北行き一方通行が開始された。
1872年(明治5年)まで現在の4丁目の渡辺筋沿いは北渡辺町・南渡辺町、西横堀川沿いは長浜町という町名だった。江戸時代以来の本町は繊維・衣料関係の町として栄えた。
以上、『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より引用。2017年11月5日 (月) 18:16 UTC、ページURL: 「堺筋」
大阪市中央区堺筋本町エリアの主な施設
寺田税理士・社会保険労務士事務所が大阪市中央区(堺筋本町)のお客様から選ばれるもう一つの理由
寺田税理士・社会保険労務士事務所が大阪市中央区(堺筋本町)のお客様から選ばれるのは前述の4つの理由に加え、もう一つの理由があります。それは
「オフィスに近い税理士や社会保険労務士を選ぶ方がメリットが大きい」
と考えているからです。以下にそのメリットをご説明します。
(※これらは実際に私たちのお客様から寄せられた感想に基づいています)
成長するお客様がオフィスに近い税理士や社会保険労務士を選ぶ理由
1.困ったことがあっても気軽にすぐ相談できる。
オフィスに近い税理士や社会保険労務士事務所と顧問契約していると、困ったことがあってもすぐに相談することができます。実際に「ちょっと困ったことがあるから今から事務所に行ってもいいですか?」という感じで、お客様が私たちの事務所によく来られることがあります。もちろん、私たちがお客様のオフィスにお伺いすることもよくあります。
2.無駄な時間とコストが削減できる
税理士や社会保険労務士と顧問契約している場合、定期的に事務所まで会計や労務の資料を発送する必要が出てきます。事務所が近ければ外出のついでに事務所に届けることも可能ですし、事務所のスタッフが直接取りに来てくれることも可能です。また、打合せのために税理士や社会保険労務士事務所に行くこともありますが、場所が近いことは移動時間の削減にもそのままつながります。
3.地元エリアの地銀や信金とつながっており、話が早く、よい関係が構築できる
顧問契約している税理士事務所がお客様のオフィスと同じエリアにある場合、地域の地方銀行や信用金庫と深くつながっていることが多いため、融資や借り換えの話が早くスムーズに進めることができます。また借入条件などについても通常よりも良い条件で実行してくれるケースもあります。また税理士事務所と一緒に定期的な業績報告をすることもでき金融機関を良い関係が構築できます。
大阪市中央区堺筋本町エリアの主な金融機関
4.近くでランチしながら打合せで密接な関係になる
顧問契約している税理士や社会保険労務士事務所がオフィスと近い場合、仕事生活のエリアも同じです。したがって、近くのレストランやカフェで一緒にランチをしながら打合せや情報交換も可能です。また経理や人事社員を交えたランチ会などによってお客様と事務所との関係性が深まります。
5.契約する事務所のスタッフがお客様となったり新たに紹介を得られることもある
お客様が飲食店、小売店、歯科医院、心療内科などをされている場合、近くの税理士や社会保険労務士事務所と顧問契約しておれば事務所のスタッフが飲食店で食事したり、医院の患者となったりすることもあります。実際に寺田税理士・社会保険労務士事務所のスタッフも、顧問契約しているお客様の飲食店や医院を積極的に利用させて頂いてます。また同じエリアの顧問先が多数あるため取引先を紹介してくれることもあります。
6.地元エリアのことを知ってるので情報を得られることもある
税理士や社会保険労務士事務所は複数の業種のお客様のことを知っています。したがって同じエリアだと、地域のさまざまな情報を持っています。たとえば「どんなお店が流行っているか」「どの業種が成長しているか」「店舗や不動産の情報」などを得られることもあります。地域の経済状況や動きなどを得られることで経営のヒントになることもあります。
7.近いことで精神的に安心する
オフィスに近い税理士や社会保険労務士事務所であれば、地域の事情も深く理解しているため、お客様の会社のことをよく理解してくれるでしょう。また税理士業や社会保険労務士業というのは、最後はお客様と担当者との「人対人のサービス」です。遠くにいる人よりも近くにいる人に安心感を抱くのは今後も変わらないでしょう。会社の数字や経営の中身をすべて見せるのだから、近くの税理士がいいです。